大森エリアの賃貸物件情報は、リブリッチLuz大森店にお任せ下さい!

BLOG

大田区を流れる川 呑川の歴史

皆さんこんにちは

大森店伊藤です。

大田区を通る呑川の歴史についてご紹介です。


大田区を流れる呑川(のみがわ)は、現在は都市河川として整備されていますが、その歴史は古く、地域の暮らしや発展と深く結びついてきました。

呑川は世田谷区の桜丘付近を源とし、目黒区、大田区を経て東京湾に注ぐ全長約12kmの河川です。

かつては農業用水や生活用水として利用され、周辺の人々にとって欠かせない存在でした。

江戸時代、呑川流域には水田や畑が広がり、川は灌漑用水路の役割を果たしました。

川沿いの低地は肥沃で、農産物の生産に適していたため、多くの農家が川の恵みを受けて暮らしていました。

また、川筋は地域交通や物資の運搬にも活用され、小舟が行き来していた記録も残されています。

明治から昭和初期にかけて、呑川周辺は都市化の進展とともに大きく変貌します。

住宅地や工場が増えるにつれ、生活排水や工業排水が流れ込み、水質は悪化しました。

高度経済成長期には「ドブ川」と呼ばれるほど汚染が深刻化し、悪臭や蚊の発生が地域の大きな問題となりました。

しかし1970年代以降、下水道整備や河川改修が進み、呑川は少しずつ姿を変えていきます。

コンクリート護岸や暗渠化が行われる一方で、親水公園として整備された区間もあり、市民の憩いの場として利用されるようになりました。

現在の大田区内では、呑川緑道や桜並木が整備され、春には花見の名所として賑わいます。

このように呑川は、農業用水から都市の下水路へ、そして地域の緑道へと姿を変えてきました。

その歴史は、大田区をはじめとする周辺地域の発展の縮図といえるでしょう。川と人々との関わりの移り変わりを知ることは、都市と自然の共生を考えるうえで大きな手がかりとなります。




LINE

LINEする

来店予約

来店予約する