六郷用水とは何でしょうか
六郷用水(ろくごうようすい)は、江戸時代初期に開削された農業用水で、多摩川の水を引き、現在の大田区や品川区周辺の新田開発を支えてきました。徳川幕府の治水および新田政策の一環として整備され、六郷領一帯の稲作や生活用水として重要な役割を果たしました。用水は単なる農業インフラではなく、人々の暮らしや地域社会の形成を根底から支える存在だったのです。
開削の背景と歴史的な役割
六郷用水が造られた背景には、江戸の人口増加に対応するための食糧生産拡大という目的がありました。多摩川沿いの土地は洪水が多く、耕作に不向きでしたが、用水の整備によって安定した農業が可能になりました。また、用水は幾筋にも分かれて各村へ水を供給し、水量や利用時期を細かく管理する仕組みが整えられていました。このことから、六郷用水は地域同士の協力関係を育む装置でもあったといえます。

近代化と六郷用水の終焉
明治時代以降、都市化や工業化が進むにつれて、六郷用水の役割は次第に変化していきました。上水道の整備や農地の減少により、農業用水としての必要性は低下していきます。昭和期には多くの区間が暗渠化され、道路や宅地へと姿を変えました。こうして六郷用水は、目に見える水路としての役目を終えていきました。
六郷用水跡に残る風景
現在、六郷用水の大部分は地上から姿を消していますが、その痕跡は各所に残されています。緩やかにカーブする道路、細長い公園、説明板や地名などがその代表例です。これらは、かつて水が流れていた名残であり、都市の中に埋もれた歴史を静かに物語っています。散策しながら跡をたどることで、過去の景観を想像する楽しみも味わえます。

六郷用水跡が伝えるもの
六郷用水跡は、都市の発展の陰で失われた水辺の記憶を今に伝えています。便利さや効率を追求する中で姿を消した用水ですが、その存在は地域の成り立ちを理解するうえで欠かせません。六郷用水跡に目を向けることは、私たちが暮らす街の歴史を見つめ直し、未来のまちづくりを考える手がかりにもなるでしょう。