みなさんこんにちは、リブリッチLuz大森店の橋本です。
新しいゲームを始めました
趣味と体力
ゲームが好きなのですがなかなか手につきません。社会人になってからというもの、単純に時間がないのもそうですし、プレステやswitchを起動する元気がないのです。時間も体力も持て余していた大学生の頃とは違います。同じ悩みをかかえている社会人の方はたくさんいるのではないでしょうか。ゲームに限ったことではありません。読書然り、映画鑑賞然りです。どんなに忙しい日でも寝るまでに2.3時間はあるはずです。それでも「何もできない」というのは、やはり時間の問題というより、個人の身体的な問題でしょう。危機感を覚えるのは「楽に暇を潰すようになってしまった」ことです。YouTubeやSNSがその最たる例です。なんとなく面白い感じがするものの、心から楽しんでいるわけではありません。にも関わらず時間はどんどん消えていきます。抗えない時代の流れとも言えますが、いくらか自制することはできないことではありません。楽に暇を潰していると、本当に楽しい瞬間にはたどり着けません。ゲームや読書や映画は、やはり一定の体力や集中力を必要とするからです。何かを楽しもうとする力が衰えていってしまうのは、恐ろしいことです。趣味に対して使うには語弊がありそうですが、楽しむ「努力」は生活において必要だと常々考えています。
趣味と努力
新しい刺激は割と続くものです。昔やっていたゲームを久しぶりに始めるよりも、いつかやってみたいと思っていたゲームを買う方がわくわくします。趣味に対して腰を上げる瞬間の初期衝動に勢いがつきます。何に対しても言えることでしょう。新しい本、ずっと見たかった映画、初めのわくわくが肝心です。始めてしまえば、あとは当人がどれだけその熱を冷まさず保ち続けられるかにかかっています。つまむだけつまんで飽きてしまうのではないかという不安はもっともです。やりもしない新しいゲームが増えていくのは、一方でストレスにもなりがちです。「やりたい」が「やらなきゃ」に変わってしまうからです。しかし、始めなければ何もできません。新しい本を買って読んでいるうちに、前に買った本をひっぱり出して苦も無く読み始めるような瞬間を僕は何度も経験しています。動き出すきっかけさえあれば、意外と続くものです。「あの頃みたいに楽しく取り組めない」と手を付けることさえ億劫になってしまいがちですが、楽しくなるまでは努力だと割り切っています。「仕事が終わってなお頑張る体力はない」とか「趣味のために頑張るのはおかしい」と言われそうですが、それは楽に暇を潰すようになってしまった現代人の戯言です。ひと昔前なら、当たり前だったことなのです。
遅ればせながらスプラトゥーンを始めました。ほんの触りしかやっていませんから、面白いかどうかはまだわかりません。